第23回短編映画コンクール作品レビュー


作品タイトル監督
グランプリ該当作なし
準グランプリ私は、私と、私が、私を、伊藤 里菜
入賞あなたの代わりのあなた展山田 遊
入賞最後の生活渡邉 高章
入賞のどかな時間常石 梨乃
入選ジョディ袴田 くるみ
入選深婚式霞 翔太
入選ババ抜き米澤 諒太
入選/一般審査員賞幸福指数西井 舞
入選/一般審査員賞スマホの中のエイリアン川中 玄貴
特別審査員作品タイトル監督
工藤 雅典 監督言葉の階段(感情線Link)松本 颯人
椿原 久平 監督レタスまき/(M)other十川 雅司
冨永 憲治 監督ジョディ袴田 くるみ
鈴木 元 監督速報!あと5分で地球が滅亡します!黒田 未來

該当作なし


「私は、私と、私が、私を、」 伊藤 里菜

【審査委員長 品評】

アニメーションによる現代の一種の変身物語である。
それは毒虫へ変身などではなく、顔の整形を切っ掛けとする若い女性の茫漠としたものだ。
それが不気味なのは、いつ起るか分らぬままに、コップに少しずつ溜まっていた水が、(本編の語り口によれば)蚊が通っただけで零れるように、やってくる。それは、皮を引き剥がしても剥がしても、中身が攫めない不気味な変身感覚なのだ。

止めるにやめられない整形願望と最初は整形代6万円で瞼に線一本入ったそれが、やがては彼女の全存在をも自分で掴み切れぬ不定形な怪物へとエスカレートする日常的な恐怖に至る。

本作は、一編の映画として必ずしも緻密にできているわけではない。絵作りも含めて、さらに完成度を高める必要がある。だが、現代に生きるすべての者が抱えている精神の片隅に潜む恐怖を、整形の不安という発想から始めながら、それに止まらないものを垣間見せたところの実験作として、筆者は買うところがあった。

ラストに、日常に戻った主人公の描写として、捨てに行くごみ袋の中身が、これまでの剥ぎ落した整形の残留物であるらしいのと、最後に、再び、いつ零れ出るかもしれない水で満杯のコップをもってきたのも心憎い。


「あなたの代わりのあなた展」 山田 遊

【審査委員長 品評】

美術館のある公園で、偶々出会った若い男女(彼らはたった一度だが、あるパーティで出会っていた)が、マッチングアプリで今日この時間この場所で会うことを約束しながら、どうもすっぽかされたらしい男に対して、女が「じゃ、自分がその役を務めてあげる」と提案することから始まる、公園内を歩きながらの会話劇である。

と云って、なかなかに手が込んでいる。
先ず、第一段階。女はそこの美術館で見てきた美術展の話をした後、そのチケットの半券を男に渡す。その表題がこの短編のタイトルになっている。男が約束の女を待つ間ブックオフで買ったという文庫本(江国香織の小説)を読んでいたという話を聞いて、古本には栞が付いてないから、栞にしてねと。
男は文庫本の読み終えたところに挟み込む。お礼を云って。

後は、他人が連れている犬に駆け寄ったりする女が始める犬談義やら、話のネタも尽きてくると、女はこれまでの男の想い人を聞き出す。男は喫茶店でアルバイトをしていた女性のことが忘れられない、告白しようと決意して会いに行ったときには、すでに彼女が去った後だったという。だから、今は誰でもいいんだと。

「じゃ、彼女になってあげるから、言いたかったことを云って」と第二段階に移行する。
ところが、男が、美術館に行ったりする? と聞いたばかりに、女は、美術家の卵らしい彼氏のことを語り出す。才能はあると見込んでいる彼女には、彼氏が自分の殻から出ないことが歯がゆく、遂には迷惑だとまで云われて二人の仲は危機に瀕している。そして、今日の美術展もやはり彼は現れず一人で見るしかなかった。今や、関係は逆転し、芝居ごっこから外れてしまったのは女のようでもある。
その証拠に女の言葉には、関西弁が交じってくる。

そして、第三段階、男が偶々開いた文庫本から、突風が栞代わりのチケットの半券を飛ばしてしまった。男は、マッチングアプリの相手が江国香織のファンだというので、読後の感想でも話せたらと思って、初めて読んだ、まだ読み終えてないけど、と云う。女が云う。その小説、読み終えたら、私が感想を聞いてあげる。そして、これの感想も聞かせてと、彼女は男に再び、何かを渡す。それは、彼女が彼氏のためにとっておいた未使用の同じチケットだった。そして、文庫本の表題が明かされる。だとしても、「抱擁 あるいはライスには塩を」に殆ど意味はなかろう。

延々と、流れを追ってきたが、虚と実の錯綜を一編の物語として、一歩踏み出した彼女と男の新しい出発となるのか。

真っ当な展開を作者は選んだというべきだろうが、一方、作者は、マッチングアプリについても拘りがあるようで、彼女が披露する美術展のブロックを嵌め込む話など、当て嵌まるのがたった一つでしかないと思っていたのに、嵌めてみたらどれにも嵌る、というエピソードなど、まさにマッチングアプリのアナロジーそのものだから、最後に女がバッグから取り出すものが、江国香織の文庫本というオチ(すなわち、彼女こそマッチングアプリの相手)を作者は用意しているのかと、筆者は勘ぐってもいた。


「最後の生活」 渡邉 高章

【審査委員長 品評】

父を亡くし、母と二人だけになった少年の家に、一人者で小説家の伯父さん(母の兄)がやってきた。
父の代わりに家を守ると称して不登校を決め込んだ小学生、父の遺したカメラが少年の宝物だ。母は自分が勤めに出ることもあり、伯父を同居させたのだ。その分、少年と伯父さんとの関係は濃密になっていく。伯父さんは、閉じこもりがちな少年を、昼飯だ、何だと、引っ張り出す。少年の語りで綴られる物語の中で、伯父さんは大事なことを語り掛けてくれるが、まだ自分には分らぬことが多い、と彼は言う。

少年の父と友人でもあった伯父さんは、父のことを「どこにも行けない旅」という小説にすでに書いていた。そして、その文庫本が新しく出版された。伯父さんは、今、新しい小説に取り組んでいる。若い編集者の協力を仰ぎながら、少年の見ている横で、推敲を重ねてもいる。心優しい編集者は少年の友達にもなってくれる。

伯父さんの本を読む女性ファンの姿も少年は見る。伯父さんは別れた妻から会いたいという電話を受け、会いに行くが、その時も少年を連れて行く。彼女は近々何らかの手術を受けることになっていて、高校生になった二人の間の一人娘と伯父さんが会うよう気に掛けている。手術に立ち会おうかという伯父さんは拒否しながら。
そして、少年にとっては従姉にあたる彼女に伯父さんが会った時、少年も彼女から自分も不登校の時期があったと元気づけられもした。今や、伯父さんと少年の関係は、深い絆で結ばれて、まるで友達だ。

一気に、時は経って、結婚式場の控室と思われる一室。
すでに花婿らしい姿に立派に成長した主人公と母親。伯父さんの企まざる情操教育は成功したようだ。

伯父さんは来ないと云ってきたが、二人の前に、「最後の生活」と題されたあの頃のことを書いた一冊の本と、その印税が収められた預金通帳が届けられている。伯父さんからの結婚祝いだ。
そして、カバーの下の本の表紙には、あの当時少年が落書きのように書き付けた家族を描いた絵が使われていた。ラストの描写が、この作品を一気にハートウォーミングなものにした。


「のどかな時間」 常石 梨乃

【審査委員長 品評】

小舞台で男の人形を使い愛の幻想を見せている女芸人が主人公。
勤めの傍ら、月に一度くらいのペースで演じているようだ。のどかな時間とは、彼女の芸名であるらしい。

その夜、演じ終わった後、ある番組に出演しないかと、声が掛かる。だが、彼女はにべもなく断る。そして、貰った名刺も小劇場の支配人らしき男に渡す。支配人からは折角のチャンスをと残念がられるが、彼女には一片の迷いもない。

劇場の表に出ると、久しく会っていなかった妹が彼女を待っていた。父が死んだという知らせがもたらされるが、姉は表情一つ変えない。やがて、二人は姉の住むつつましい部屋で、コンビニででも買ってきたような弁当を前に缶ビールで乾杯となるが、その時妹の云う「父さんの死に乾杯!しようか」で、父と娘たちの関係が尋常でないことが暗示される。

そして、直ぐ、その真相は明かされることになる。父は殺人犯だったのだ。そして、僅かながら、父の遺した金だと云って、厚くもない封筒を差し出す。

姉はにべもなく、被害者遺族に渡してと拒否するが、賠償金を払った後の僅かな稼ぎのものだから、と云う。そして、加害者の家族としてこれまで耐えに耐えてきた(その重圧に、兄は自死している)が、私はこれからは自分の生き方を見つけていく。そして、結婚することを宣言する。姉はその人は知っているのと訊く。妹は堂々と答える。勿論、知っていると。そして、煮え切らない姉を捨て置くように部屋を出て行く。

妹の堂々たる宣言に大いに刺激を受けた姉は、妹を追いかけ、結婚を祝福し、式にも出るという。
そればかりではない。その足は小劇場へと向かい、支配人から先程の名刺を貰って電話を掛ける。自分も前向きに生きようと決断してーー。

重圧と闘ってきた姉の新しい展開をラストに持ってきた作者の意図に反対する理由はない。だが、筆者は、もうひとひねり、電話を掛けながらも、いざという瞬間に逡巡する、さらに言えば断念する道が、短編の括り方としてより強烈なインパクトを観る者に与えたのではないかと思う。すなわち、加害者家族の余りにも重い断念というか重圧を観る者に印象付ける方法として。


「ジョディ」 袴田 くるみ

【審査委員長 品評】

英語で語られるアニメーション作品である。
登場人物は、ジョディという少女型のロボットとその故障を治す(直す)女医、実は技術者の二人だけ。

ジョディは、持ち主の人間に好き勝手に使われ、故障すると直ぐに直しに出され、それまでの記憶をすべて奪われ、何度でも人間の勝手な使用に付されるというわけだ。ジョディは27回もここで直されたらしいが、無論記憶にはない。だが、ジョディにはここで記憶が消されるのだというわずかな認識が残されていた。

ジョディは、思い切って、記憶を残すよう、女医に依頼する。そして、女医はその訴えを聞き入れ、記憶を残してくれた。ジョディは最近見た映画の中の女性のように反抗し続けることを宣言し、女医のもとを去っていく。

ここで、この短編は終るのだが、その後をこそ、観たいのだと、気づかされる。
この続編を描いてこそ、この映画の本領と評価が定まるのだと思われる。


「深婚式」 霞 翔太

【審査委員長 品評】

二人の結婚は今危機にある。
式場支配人である夫、結婚相談員である妻、理想のカップル(風に)として結婚してしまった二人の生活は、意外とすれ違い、気持ちもすれ違ってきていた。

偶々、彼らの企画した<深婚式>という企画の写真撮影のモデルに穴が開いて、その役回りを二人が演じることになる。そして、そのカメラマンというのが、結婚相談に彼女の客として来ている男。彼は二人を理想の夫婦と憧れてもいる。そのカメラマンの調子のいい誘導に乗って、演じている内に、かつての互いへの愛情が沸々と湧いてきてというハッピーエンディング。

演出も巧みでそつがなく、単純には終らせないが、やはりアタマから殆ど先が読めてしまうのは如何なものか。


「ババ抜き」 米澤 諒太

【審査委員長 品評】

父の死後、女手一つで珈琲店を経営しながら、三人の子供(長女、長男、次女)を育て上げた母が倒れ、救急車で病院に運ばれた。

同乗して行ったのは同居している大学生の妹、今は都会に出ている姉と兄も帰ってきていて、三人が閉店中の母の店にいる。三人の会話は自ずと今後の珈琲店の経営も含めて、母親の面倒を誰がみるかということ。どこかの施設、などという言葉も出るが、すぐさま否定されて・・・。

そして、長男の提案で、トランプのババ抜きで決着させることに合意。

作者は、あざとく「ババ抜き」を選んだのだろうが、もう一つ、彼らが子供の頃にババ(ジョーカー)の裏にしるしが付けてあった、という仕掛けが用意されていて、いち早く妹が勝抜けた後、ババを持つ弟の手から、姉が敢えて引き抜くかどうかが姉の手に委ねられ、その決断が迫る中、電話のベルが鳴り、妹が受けると、予想に違わず、母の死が告げられる。

かなりあざとい作りだけに、<母の死>に逃げない方法もあったのではないか。


「幸福指数」 西井 舞

【審査委員長 品評】

自分も含めて、他人の頭上に、その人の幸福度を表す指数が見えたら、というアイデアを自ら逆手にとって、見た目の指数なんて、人の本当の幸せとは全く関係がない、と結論付けるストーリー。

一応、起承転結は全うしているものの、稚戯に見えなくもない。というのも、二週間にも亘って、ひとり、探し物をしている婆さんが出てくるのだが、発見後のこの人の頭上に指数は現れず、出す出さぬが余りに恣意的に見えるからだ。最初100で現われる女性についても、失恋の内容とそれからの立ち直りが余りにも杜撰だ。

語り口、テンポ、ストーリーの運びが悪くないだけに(それらは短編との相性がいいということ)、もう一つ吟味が必要だった。


「スマホの中のエイリアン」 川中 玄貴

Screenshot

【審査委員長 品評】

スマホとAIと何かとくれば、現代の三題噺である。そのもう一つに、作者はエイリアンを持ってきた。

スマホの持ち主である女子学生は天文学を専攻しているという。そして、地球外生命体の存在に興味を持っている。と来れば、木星の衛星エウロパに、果して地球外生命体が存在するかは当面の関心事であるはずだ。そして、タイミングよく、スマホのAIアプリに、当のエウロパの生命体だと名乗るモノ(男の声)から声が掛かった。地球を調査中で、人間が侵略してくる怖れがあれば、逆に攻撃するという。

さて、この先どう展開するか。
結局、スマホの声は、特に変わった状況もないので地球及び人間についての調査を中断し、十二年後にまた、と云って、消えてしまう。

えっ、これでおしまい?! 最新の三題噺にしては、身も蓋もないではないか。



工藤雅典監督
・・・「言葉の階段(感情線Link)」 松本 颯人

鳥取県の米子高専放送部の作品。

チャーミングな吃音の女子高生・真美と、ちょっとニヒルなクラスメートの勇。勇はいつもマウントを取ってくる兄に反発している。二人のキャラクターが中々魅力的だ。とりわけ、吃音でも明るく前向きな真美は、誰でも応援したくなる存在だ。

文化祭のディベート大会に、級友のからかいにあい、意地で参加を決めた真美。一方、兄が昨年優勝した事だけが理由で選ばれた勇。勇は最初やる気が無いが、震災による津波で母と姉を失った真美の境遇を知り変わっていく。波の荒い海岸に真美がたたずむショットが印象的だ。

勇がディベート大会に出場する事を知った兄は、パートナーの真美を探りに来る。真美が吃音である事に気づき真美を嘲笑する兄。家族を守り死んだ真美の姉と、下級生の女子を馬鹿にする勇の兄の対比が、クライマックスのディベート大会の伏線。

兄に怒りを感じた勇は、今年も出場する兄に勝つべく、真美と一緒にディベートの練習に励む。大会が始まり一回戦。しかし、真美は中々上手く話すことができない。そんな真美に、勇は、「思った事を素直にそのまま話せばいい」とアドバイスする。これが二つ目の伏線。

2回戦は勇の兄のチームとの対戦。ディベートのテーマは「兄弟・姉妹は兄・姉の方が得をしている」。ディベートに勝つには、姉の方が得をしている事を主張しなければならなかったが、真美は津波で母と自分を守ろうとして死んだ姉を想起して、妹を守らなければならない姉が損だと話してしまう。それが、真美の素直な気持ちだった。
ディベートには負けてしまったが、勇と真美はお互いを認め合い、絆が生まれる。二人の確かな成長が感じられる。「来年もまた一緒のクラスになれるといいね」と二人は微笑む。

しっかりしたテーマとストーリー構成を持つ、爽やかな青春を描いた良作となったこの短編は、松本颯人監督が部活動の中で、高校生活最後の集大成として取り組んだ作品のようだ。

高校生が学校での活動で作った作品としては十分合格点を取れる作品である。惜しくも入選を逸したのは、良い作品ではあるが、優等生的な殻を抜け出せていないとの印象からかもしれない。監督としての基本には良いものがある。

今後、もっと人間の心の奥底に入り込んでいくような、そんな作品作りを期待する。


椿原久平監督・・・「レタスまき/(M)other」 十川 雅司

本編審査の翌々日、私は娘あきさん同様、里帰りの機会がありました
両親に事前連絡したとき、食べたいもの聞かれたので、私の、おふくろの味「がめ煮(=筑前煮)」をリクエスト 果たして、里帰り当夜に「がめ煮」を美味しくいただきました
因みに、ウチの母はカレンダーではなく、「がめ煮」の食材リストを書いた手製のメモ用紙でした(笑)

幸い両親ともに元気で、私はあきさんのようにヘルパーを演じるも必要なく、廊下の壁に手摺り、なんて実家の新たな造作も無かったため「がめ煮」を食しても、涙に鼻水流すことはありませんでしたが、あきさんの気持ち、各局面で追体験、親の健康状態に感謝しつつ、共感してきましたそんな訳で、個人的に本作は、観るべき時に出会えた作品でしたが、残念ながら入選とはなりませんでしたので、私のピックアップ作品として、挙げさせていただきました

ここからは、作品全体をざっくり捉えれば大きく影響ないけれど、監督が映像制作従事者なので、腑に落ちない点、重箱つつきします(私の読解力が足りない、とするならば、関係者の方々、ご容赦ください)

あきさんは、きよさんに直接電話を何故かけられないのか(疎遠に遺恨あり)?
たまねぎ(レタス)おじさんは、どうして所作が粗野なの?本当は息子?
きよさんが書き込むカレンダーと、おじさんが見るカレンダー、2つ必要だった?
あきさんは、兄?弟?のところにしか寄るつもりない帰省だったのに、彼に滾々と説得され、会いに来たから夜遅くなった?(そもそも時間指定なし)
きよさんは、あきさんを玄関で迎えたときだけ、何故「宮崎弁」ではないのか?
短編作品で、OP・EDに合計約4分弱も費やす必要があるのだろうか?

以上、十川雅司監督が更に鑑賞者へ響く演出力を高められていくことを期待祈念し、本稿を結びます


冨永憲治監督・・・「ジョディ」 袴田 くるみ

AIの登場・進化によって、世界は大きく変わってゆく予感。
持ち主の暴力のために、繰り返し虐待を受けるロボット。持ち主が平凡な一市民を演じるために、その凶暴さを覆い隠すために生まれてきたかのように。

機械は人間のために生み出され、人間の生活を豊かにするために存在する。そのためにロボットは人間に服従しなくてはならない。ゆえに人間は進化し自分で考えるロボットの記憶を消去することにする。しかし、人間社会に翻弄されトラウマに苦しむ女医が、ジョディの記憶を残す。

ジョディは戦うことを宣言する。持ち主の元には帰らぬことを宣言して。
・・・
幸せに暮らしているロボットは、記憶を持続しているのだろうか。戦争に駆り出され壊れたロボットは?女医もまた、進化型のロボットでは?

性差別や虐待にスポットを当てた作品だけに、テーマに向き合う姿勢は誠実に感じる。女医とジョディの会話ゆえ、女医をもっと人間らしく、トラウマを暗示させないキャラクターの作り方もあったのではないだろうか?

あらゆる差別をアトムに託した手塚治虫氏は、あなたの身近にいる「アトム」にひどい仕打ちをしていませんかと問う。


鈴木元監督・・・「速報!あと5分で地球が滅亡します!」 黒田 未來

題名の通り、隕石がぶつかり5分後に地球が滅亡するという設定だが、ここに登場する3人の女たちは、悲劇的な状況を悲劇的に受け止めるのではなく、ごく日常的に受け止める。最後の晩餐と称して、要は死ぬ前に何を食べようかと反応するのだ。その中で、ルームシェアをしているらしい3人の小さな軋轢が露わになって行く。

軋轢と言うとオーバーだが、誰それのプリンを勝手に食べただの、片思いの相手と勝手に寿司デートしただの、ごくごく普通の出来事がこの非常時に、あと5分しかないのに、どたばたと描かれるところが面白い。テンポが良いのがこの作品の魅力。余韻なんていらない。だって5分で地球は滅ぶんだから。

さて、こんな展開で8分43秒しかない作品のエンディングがどうなるのかと待ち構えていると、案外、普通。

三人丼か……。

ハッピーエンドでもバッドエンドでもいいのだが、このエンディングをもうひとひねりしたらもっと多くの人が面白がってくれたに違いない。滅ぶ前に最後の晩餐。人間なんてこんなもんだよね、と思います。泥棒に暴行されて死のうと決めたヒロインが、死ぬ前に飯を喰う映画もありました。食べることへのこだわりがめちゃ強いと思われる黒田KC監督には、さらなる面白い次回作を待望します。

余談ですが。ひつまぶしも、あんかけパスタも、エビフリャーも、味噌カツも、僕は大好きです。